「はぁ……………詰んだ。」

 

2015年のある日の22時。僕は、パソコンの前で深いため息をついていました。なぜなら、起業2年目にして、最大の危機に直面したから。

 

売上とかお金の話ではありません。これまでに経験したことのない「孤独」に、絶望していたのです。今から、その理由を包み隠さずお話しします。

 

 

「考古学で生きていきたい」

 

そんな夢が、はかなく散った23歳の冬。僕は、バイトをしながら自分探しをしていました。自分にとっての特別なものを知りたかったのです。

 

でも、30種以上のバイト経験でわかったのは、自分が”落ちこぼれ”である事実のみ。気づけば20代も折り返し、ときおり故郷の友達たちの大躍進話が耳に入っては、ただ焦りを感じていました。

 

「このままでいいんだろうか?」

 

その不安は、日に日に大きくなり続けていました。しかし、そんなある日のこと、人生で初めての奇跡を体験することになるのです。

 

 

豆腐を売っていたら

奇跡がおきた

 

それは、豆腐屋のバイトをしている時に起きました。

 

豆腐屋といっても、通常の豆腐屋ではありません。ラッパを吹きながら街を行脚するお豆腐屋さんです。

 

当時の僕は、小麦色に焼けた肌でバンダナを巻き、雨だろうが雪だろうが関係なく一日中歩き回って売ってました。

 

理由は忘れてしまいましたが、バイトを辞める時だったと思います。仲の良かった常連のお客様に挨拶回りをしていた時のこと。

 

毎回ところてんしか買わない、常連のおばちゃんに言われたのです。

 

「あんた、これから何すんの?」

 

正直アテはありませんでした。ですから、ろくに考えることもなく返事をしたのです。

 

「いつかバーをやりたいと思っているので、その準備をしようと思います」

 

すると興味をもったのか、おばちゃんは、さらに踏み込んできました。

 

「あら、頑張るじゃない。アテはあるの?」

 

僕は彼女の質問に即答しました。

 

「それはまだこれからですね」

 

確かにバーに興味はありました。でも、ツテもなければ、やり方もわからない。現実味のない夢物語でした。ただ、その時は反射的に答えてしまったのです。

 

すると、彼女は突然ひらめいたように言いました。

 

「そうなの?うち、ちょうどバーあるわよ」
「前のオーナーが心筋梗塞で死んじゃってね」
「まだ前の状態のまま残ってるのよ」
「だから使っていいわよ」
「せっかくだから見ていく?」

 

想定外の展開に驚きました。毎回ところてんしか買わない、見た目も普通のおばちゃんはまさかの経営者だったのです。しかも、かなりやり手の経営者でした。

 

僕は、彼女の質問に即答しました。そこからバーを開業することになったのです。27歳の時でした。

 

嬉しかったです。幸運すぎる機会と、初めて自分の店を持てたことに全身が震えました。

 

人生ではじめて、世界に自分のアイデンティティが認められた気がしたのです。

 

しかし、現実は甘くは

ありませんでした

 

バイト経験を活かしてカクテルに使うリキュールをたくさん仕入れたものの、まったくと言っていいほど売れませんでした。

 

なぜなら、そのエリアの方が求めているものはビールと焼酎だったからです。その結果、大量に在庫が残ることになりました。

 

集客にも苦労しました。オープンしたら勝手にお客様が入ってくるものだと信じ切っていたからです。

 

内装やメニューを考えることにばかり時間を使い、気づけば、オープンから閑古鳥。

 

事の重大さに気づいてからは、考えられるすべてを駆使して稼働させたのを強く覚えています。

 

必死でした。その甲斐あって2年間は経営できたものの、常にチラつく廃業2文字。

 

初めて持てた店をつぶしたくない。そう思いました。なによりも、店を愛してくれる常連のお客様に申し訳が立ちません。

 

「いったいどうすれば良いんだろう?」

 

悩みに悩んだ挙句、僕が向かった先は、本屋のビジネス書コーナーでした。

 

「ここに必ず答えがあるはずだ。」

 

集客について書かれた本を目につくものすべて読み漁りました。でも、ほとんどわかりません。専門用語が多すぎるのです。

 

困ったなぁ。と、頭を悩ませていると、僕はあることに気がつきました。

 

「IT業界は儲かってるじゃん!」

 

僕は早速自室に帰り、ITベンチャーの企業をリサーチしました。そして、それらの会社に一斉にメールを送ったのです。

 

ベンチャーであれば、過去のキャリアも関係ない。人手も必要なはず。となるならば…。

 

僕は、確実にYESと言ってもらえるようにこう付け加えました。

 

「給料は必要ありません」
「土日限定で無休で働く雑用を雇いませんか?」

 

結果は見事成功でした。2社から返答があり、僕は六本木にある1社で働くことになりました。

 

めちゃくちゃ働くホームレス

 

月曜日から金曜日はバーを経営し、土日をIT企業ではたらく毎日。さらに土日は12時間以上は当たり前。

 

それでも僕は、IT企業ではたらく時間はなんでもやりました。

 

なぜなら、スキルが欲しかったから。バーのために必死になって取り組みました。実際、新しいことを覚えることはとても楽しかったです。

 

そんな目まぐるしい日々を送っていると、ある時、会社の上司から唐突なオファーがありました。

 

「平日もきてくれない?君がいると助かるんだ」

 

正直迷いました。この決断で、未来がまったく違うものになることを理解していたからです。でも、新しい未来を見据え、僕はIT企業で働くことを決めました。

 

IT企業で働くことは大変でした。

 

朝9:00から終電ギリギリまでの労働。いつ、どんなタイミングでタスクが降ってくるかもわからない。

 

やったことがあるナシも関係ない世界なのです。それらが来るたびになんとかクリアしていく毎日。とにかく、生きていくことに必死でした。

 

その上、無給条件の継続。半年もすると、僕は家賃が払えなくなり、ホームレスになりました。それでも僕は、会社に住み込みをしながら働いていました。

 

1年後、あるプロジェクトを任せられることになりました。人生で初めての大型案件です。

 

僕は責任感を感じながらも、必死にやりました。結果、多くの人の支えもあり、6000万を超える大きな成果を出すことができたのです。

 

僕は、成功体験を経て、自信を持つことができました。同時に、自分の力を試してみたいと思うようにもなりました。

 

「この力をおもいっきり試してみたい」

 

僕は、お世話になった会社を辞め、起業することを決めました。

 

モチベーションが上がらない

 

2015年のある日の14時。僕は、新宿御苑前駅近くのカフェで肩を落としていました。

 

「またチャットワークの返信が途絶えちゃったよ」

 

パソコンをジッと睨みながら、ホットココアを飲む僕。どうやら画面の向こうの人は、別の仕事に興味を持ってしまったようです。

 

僕は返信が待つのを諦め、パソコンを閉じました。

 

僕は、2014年にマーケターとして起業し、様々なクライアントをプロデュースしていました。

 

ホームレスだったので、お金がないところからの起業です。必死に営業をして、結果を出すことだけにコミットメントをしてきました。

 

小さい案件も大きな案件も優劣つけることなく、真剣に向き合ってきたのです。でも、どうしてもモチベーションがあがらなくなっていました。

 

なぜなら、どんなに頑張ったとしても、未来は同じだったからです。僕のミッションは、素晴らしい商品・サービスを世に広めること。

 

確かに、このミッションは達成できていました。けれど、クライアントの心は違っていたのです。

 

手に入れたお金を自己顕示欲に使ったり、怪しいビジネスをはじめたり。

 

彼らの自己顕示欲はステータスに表れるようになり、人を出し抜くことが当たり前になっていきました。

 

年収マウント、ブランドマウント、競争、競争、競争…。終わりのないゲームにハマった彼らの関心事は、いつしかお客様から自分になっていきました。

 

当然、プロデュースしたことで生まれたお客様は、誰もいなくなっていました。こんなシーンを、僕は何度も何度も見てきました。

 

なぜだろう?と僕は思いました。付き合う人間がよくないのだろうか?しかし、最初はみんなお客様のためを思っていたはず。

 

少なくとも僕にはそう見えたのです。

 

では、僕が人を見る目がないのだろうか?では、どんな人と関われば良い?…正直、人間不審になっていました。

 

そして、自分に足りないものはなんだろうか?と模索する日々が続くのです。

 

タツヒコとの出会い

 

2016年のある日、僕はタツヒコと出会いました。自分を模索していた僕がたまたま参加したあるセミナー。

 

タツヒコは明るくて陽気な男でした。身長が高く、年齢は僕よりも若いのですが、いつもハキハキとしていて、周りを和ませる力を持っていました。

 

僕らはすぐ意気投合し、仲良くなりました。ビジネスのこと、家族のこと、価値観、夢、なんでも共有をして。ある時、僕はタツヒコから呼び出されました。

 

「HEINEさんにプロデュースをお願いしたいです」

 

普段と違う、真剣な顔でした。本気なんだなというのが誰にでもわかる表情です。

 

僕は、正直迷いました。またいつものようになってしまうのではないか…。そう脳裏によぎったからです。

 

最後は、彼の熱烈なお願いに僕は承諾しました。タツヒコの持つ、人を惹きつける力と、誰よりも僕を尊重してくれる姿勢に、彼とならきっとできると思ったからです。

 

想像通り、僕らの仕事はとてもスムーズでした。必要な人材を集めたところ、すぐにチームがまとまり、スタートから2ヶ月で事業が回り出したのです。

 

破滅のはじまり

 

…気がつけば2年半、あっという間でした。事業はみるみる成長し、過去最高の2億円以上を売上げることができました。

 

「俺たちならいける!もっと多くの人へ希望を照らせるよう頑張ろうぜ!」

 

僕らはよく、未来の話を語り合いました。

 

仕事もプライベートもほとんど一緒に過ごし、労働時間なんて考えたこともないくらい働きましたが、本当に楽しかったのです。

 

なにより、タツヒコという男が好きでした。

 

タツヒコは人一倍思いやりがあって、他人のために涙が流せて、人前で恥ずかしがらずに思ったことが言える、誰よりも熱い人間でした。

 

ですから、一緒にいて心地よかったのです。当然、これからもずっと関わっていくと信じていました。

 

2019年、タツヒコと出会って3年目の頃、たびたび摩擦が起きるようになっていました。理由は、ビジネスの方向性が明確に違ってきたからです。

 

顧客に向き合い、長期的に繁栄を取る戦略を目指す僕と、売上拡大のために短期的にでも新しいことを始める戦略を取るタツヒコ。

 

今回はお互いがまったく譲リませんでした。

 

もちろん、今までも小さい摩擦がなかったわけではありません。その度に、時間をおいたり、酒を交わしたりして解消してきました。

 

どちらかが譲り合ってきたからです。でも、今回だけは僕は譲れませんでした。

 

「このままでは過去の二の舞になってしまう」

 

そう思って必死にタツヒコを止めました。過去の失敗談も説明しました。…でも、彼の視線はもう、僕とは違う世界へ向けていました。

 

悔しかった。もう戻れないんだ。と思うと、僕はこれからの未来に希望を見出せなくなりました。

 

胸の奥にぽっかりと穴が空いたような喪失感の中、ずっと考えていました。

 

何がいけなかったんだろうか?どこですれ違ったんだろう?いや、僕が彼を変えたのか?それとも人間とは本質がそういうものなのか?

 

僕の頭にたくさんの疑問が浮かんでは消えました。まるで答えのない禅問答のよう。まったく答えは出てきません。

 

そんな毎日を過ごしていると、ふと気づいたのです。

 

「そうか。結局、僕がしてきたことは、ただ、売上を作っただけだったんだ」

 

どんなに栄養剤を与えて早く実がなったとしても、土がやせていれば、根を張ることができずに枯れてしまいます。

 

例えるなら、栄養剤はノウハウで、土は環境、根はマインドセット。土がしっかりしていれば、作物は地中深くに根を張り、茎を伸ばして実を結びます。

 

環境がしっかりしていれば、マインドセットが正しく身に付いて、自ずと結果がでるということです。それが自然の摂理なのです。

 

どうやら僕は、土を耕すことを無視していたらしい。

 

最初の頃は、生きるためでした。結果が早く欲しくて栄養剤にのみ、力を注いできたのです。

 

でも、タツヒコの時は違いました。彼が僕を受け入れて、信じてくれたからこそ、土を耕すことを”僕自身が”おざなりにしてしまっていたのです。

 

「嬉しかったんだろうだな。正直、タツヒコと一緒に過ごしていることが楽しくて、居心地が良くて気づきもしなかった。」

 

僕は、気づけば栄養剤だけを投与していたのです。

 

このことに気がつくと、ひどく自分が情けなくて、ちっぽけに感じました。

 

「…結局、誰かに認められたかっただけかよ」

 

この日はひどく落ち込んで、ただ、泣きました。

 

新しい未来へ

 

その後もタツヒコとは仕事をしていました。でも、心が緩やかに死んでいくのを感じるのです。

 

落ち込み疲れた僕は、いよいよ新しい未来を歩こうと決めました。

 

「プロデュースでは売上しか作ることができない。それならば、自分が表に立ち、長期的な成功ができる人間を育てよう」

 

そう考えました。そして、今まで足りなかったことを書き出してみました。

 

 

「これらを全部、しっかりと伝えよう」

 

アイデアがまとまると、未来に希望を感じることができました。僕は起業以来、久し振りに体が震えたのです。

 

起業家の友人たちに聞いてみました。自分だけの考えではどうも心もとない。自信が欲しかったのです。

 

すると彼らはみな口を揃えて言いました。

 

「HEINEさんは、裏側でプロデュースしている方が絶対に良いよ」

 

誰も賛同してくれません。

 

「確かにそうだろうな」と、僕は唇を噛みしめました。僕のこれまでのキャリアを考えると、そう言われるのは当然でしょう。

 

でも、たった一人でいいから「やってみたらいいよ」と言って欲しかったのです。

 

「…やっぱり、辞めた方が良いのかな」

 

すっかり弱気になって過ごしていると、ある光景がフラッシュバックします。

 

2度目の人生の分岐点

 

2012年、埼玉県川口市BAR LOTUS。ゲンさんは僕が経営するバーの常連でした。

 

160センチくらいの小柄な体格に見合わず、ゴツい手をしているのが印象のゲンさん。毎回、酔うと昔話のように街の歴史を話してくれた人でした。

 

昔は、鋳物工場が立ち並び、切磋琢磨しながら職人として働いていたようです。

 

すでに年金暮らしで、たまに後半の仕事だった内装の仕事を安く割安で受けてくれる粋な漢(おとこ)でもありました。

 

ゲンさんは僕のバーを潰した人でした。

 

僕は悩んでいました。なぜなら、IT企業から受けたオファーの返答に迷っていたから。誰にも相談できずに一人ぽっちで抱え込んでいました。

 

土日の労働であれば、バーと両立することは可能です。しかし、平日も加わるとなれば、バーを経営し続けることはできません。それはイコール、バーを完全に潰すということ。

 

バーの集客ノウハウを身につけるということはできても、バー自体がなくなってしまっては意味がありません。本来の目的と趣旨が変わってしまいます。

 

一方で、より学びたい欲求もありました。なぜなら、マーケティングの魅力に取り憑かれていたから。

 

そのため、僕の心はあきらかに揺れていました。

 

答えの出ない毎日を過ごしていると、ある時、酔ったゲンさんが言いました。

 

 

「どうしたんですか?急に」

 

洗い終えたグラスをクロスで拭きながら、僕はゲンさんに聞きました。

 

 

ちなみに、ゲンさんには何も相談をしていません。常連とはいえ、お客様ですから当然のこと。

 

僕の顔が悩んでいるように見えたのかわかりません。でも、大好きな焼酎をグラスの中で転がしながら放った言葉は、紛れもなく僕の心を突き刺したのです。

 

正直、決断できなかったのです。IT企業に興味はあった。でも、平日も無給になることは、必ずキャッシュショートすることが見えていたのです。

 

ですから、決断できずにずっと悩んでいました。

 

それが、ゲンさんの言葉に背中を押されて「後悔するくらいならいってみよう!」とチャレンジする選択ができたのです。

 

翌日、僕はバーを辞めました。

 

ゲンさんは僕の人生を変えた恩人でした。

 

・・・

 

鮮明な記憶を思い出すと、僕の心にもう迷いはありませんでした。

 

「誰も理解してくれなくてもやってみよう。これから理解してくれる人も必ずいるはずだ」

 

僕は、表舞台に立つことを決めました。そして、長年パートナーだったタツヒコのもとを離れました。

 

あらそいのない世界を創る

 

表に立つことを決めた僕は、早速スライドに構想をまとめました。

 

 

理念をまとめ、具体的に実現するために起業家コミュニティを作ることにしました。

 

名前はLIVERTARIA(リバタリア)。

 

リバタリアはビジネススキルとマインドセットと思考力を身につけることができるコミュニティです。

 

ビジネススキルとマインドセットと思考力が身につけば、バランスよく成長することができます。短期的な利益だけを追求をすることもなくなるのです。

 

むしろ、違いを理解することで、笑顔で助け合い、補い合う関係が成立します。なぜなら、その方が、互いの成長につながりますし、喜ぶ人も増えるからです。

 

そしてそれは、誰かにとってのヒーローになることでもあります。

 

その世界は、競争ではなく共創の世界になるでしょう。それこそが、僕が心から望む、あらそいのない世界です。

 

誰よりも僕がその世界の住人でありたい。そう願ってつくりました。

 

そんな話を、繋がりのあるお客さんに話をしたところ、ぜひ参加したいと言ってくれました。依頼されたセミナーの機会に話をしたら、その場で参加を決めた人もいました。

 

こうして、リバタリアの初期メンバーが集まってきたのです。

 

現在では、リバタリアの理念をしっかりと身につけたメンバーが、手を取り合いながら活動しています。

 

僕は、彼らの成長を応援しつつ、日々発信をすることで、1人でも多くの人にあらそいのない世界を創るキッカケをつくる活動をしています。

 

大切なのは心であり行動です

リバタリアという名前は2つの単語から作られています。LIBERTARIAとADVENTUREの2つです。

 

LIBERTARIAとは昔、海賊たちが自分たちの手で創ったとされる国家のこと。

 

もちろん、伝説であって実在はしていません。自由・解放という意味からこの名前になったと言う説もあります。

 

一方、ADVENTUREは、冒険という意味です。

 

僕はこの2つを組み合わせてLI”V”ERTARIAという名前にしました。

 

意味は、『冒険心ある自由人だけが住まう国』。…厨二病って思いますよね?それでいいのです。

 

僕は、誰かに笑われるくらい枠から外れている夢の方が価値があると思っています。どこにでもあるような夢は、もはや夢ではなく、ただの現実だからです。

 

でも、夢物語に終わらせる気は1ミリもありません。本当に真剣に考えてつくったからです。

 

理念にある、笑顔で助け合うことが当たり前なあらそいのない世界を創るには、ヒーローの存在が必要不可欠です。

 

ヒーローとは相手を理解し、手を差し伸べることができる存在。

 

別に地球規模を守るヒーローでなくて良いのです。誰かにとって必要なヒーローであることが、本当に大切なことなのだから。

 

そしてヒーローは、誰かの憧れでもあります。そのため、進んでチャレンジするし、自分の意志で自由に意思決定ができる人がヒーローだと考えています。

 

極端な話、たった1人の子どもに必要とされる人であっても構いません。その1人のことを理解していて、必要とされるのならそれでいいのです。

 

規模が重要なわけではありません。大切なのは心であり行動です。その心と行動を持った人間を沢山つくりたいのです。

 

想像してください。もし、誰かに必要とされるヒーローがたくさん増えたとしたらどんな世界になるでしょうか?

 

そこは信頼の絆でしっかりと繋がったきっと平和な世界になるでしょう。違いは個性だと受け入れることができて、自分らしく生きることができるでしょう。

 

誰かをおとしめるような人とは、完全無縁の世界になるはずです。

 

必ず実現します

 

僕は今あらそいのない世界を真剣に創っています。そのためには、仲間が必要です。

 

たった1人では成し遂げることはできません。たくさんの人間の強い想いが必要なのです。

 

世界は、1人1人の想いが形をつくっています。1人1人が不安だと想像すれば、世界はやがて不安に包まれるでしょう。逆もまたしかりです。

 

つまり、あらそいのない世界は多くの人が望めば、必ず実現します。

 

もし、今回の話に少しでも共感していただけたなら、一度オンラインでお話しませんか?

 

ここまで僕のストーリーを聞いてくれたあなたです。あなたならば、必ず誰かのヒーローになれるはずです。それを、証明するチャンスを、僕にください。

 

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